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ジョン E ケネディとは?セールスマンシップインプリントの生みの親

この記事では、ジョン・E・ケネディについてご紹介します。

ジョン・E・ケネディといえば「Reason Why Advertising」。

彼によって定義された広告は「印刷物のセールスマン」という言葉は、現在もなお語り継がれてますね。

そんな、ジョン・E・ケネディのお話です。

ジョン・E・ケネディとは?

参照元:HardToFind Seminars.com

ジョン・E・ケネディ(John E. Kennedy)は、20世紀初頭のアメリカ広告業界に革命をもたらした伝説のコピーライターです。

彼は、広告の本質を「印刷されたセールスマンシップ(Salesmanship in Print)」と喝破しました。

それまで曖昧だった広告の役割を「商品を売るための営業活動」と明確に再定義したのです。

この哲学に基づき、彼が確立した広告手法が「リーズン・ホワイ広告(Reason Why Advertising)でした。

これは、消費者が「なぜ(Why)」その商品を買うべきなのか、その「理由(Reason)」を明確かつ論理的に提示するアプローチです。

この手法は、現代のあらゆるセールスライティングの原型となっています。

ジョン・E・ケネディの経歴

ジョン・E・ケネディの功績を理解するには、彼の特異な経歴を知る必要があります。

異端の天才が、いかにして広告界の頂点に立ったのか、その軌跡をたどります。

異色の出自

ケネディのキャリアは、広告業界とは全く無縁の場所から始まりました。

彼はカナダの北西騎馬警察(現在の王立カナダ騎馬警察)の元隊員という、非常に珍しい経歴の持ち主です。

しかし、彼はその職務に就いていた頃から広告に強い関心を抱いていました。

カナダ北部の厳しい自然環境の中で、広告の本質について深く思索を重ねていたと伝えられています。

そして、効果的な広告とは「印刷物を通してセールスを行うこと」であるという、後の革命的な発見へと至るのです。

ラスカーとの運命的な出会い

彼の運命が大きく動いたのは1904年5月のことでした。

ケネディはシカゴにある大手広告代理店「ロード&トーマス」のビルを訪れます。

そして、階下のサロンからベルボーイを呼び止め、一枚のメモを託しました。

そのメモは、同社の若き経営者であったアルバート・ラスカー氏に届けられます。

メモには、挑戦的とも言えるこういった内容が記されていました。

「私はあなたに広告が何であるかを伝えることができます。私はあなたが知らないことを知っています。それを知ることは、あなたにとっても私にとっても大きな意味があります。もし広告とは何かを知りたいなら、私に会いに来てください。」

共同経営者のトーマス氏がこのメモを一笑に付したのに対し、ラスカー氏は強い好奇心を抱きました。

彼はケネディをオフィスに招き入れ、深夜まで広告の定義について議論を交わしたのです。

その場でケネディが語った「広告とは、印刷されたセールスマンシップである」という言葉は、ラスカーに雷に打たれたような衝撃を与えました。

広告界への衝撃

ラスカーは、ケネディこそが長年探し求めていた「本物の広告」を知る人物だと確信します。

その場で、当時としては破格の年俸での契約を結び、ケネディをチーフコピーライターとして迎え入れました。

ケネディが持ち込んだ「リーズン・ホワイ」という明確な哲学と手法は、ロード&トーマス社に革命をもたらします。

彼の指揮のもとで制作された広告は次々と驚異的な成果を上げ、同社を全米No.1の広告代理店へと押し上げる巨大な原動力となったのです。

 

ジョン・E・ケネディのストーリー

ジョンは、ダイレクトレスポンスのコピーライターでした。

1904年の5月に、ロードアンドトーマス社の下の階のサロンに足を踏み入れました。

そして、ジョンは若いベルボーイにメモを渡し、上の階に届けるように頼みました。

その内容はというと…

私はあなたに広告が何であるかを伝えることができます。

私はあなたが知らないことを知っています。

それが何であるかをあなたに知ってもらうことは、私にとって大きな意味があり、あなたにとっても大きな意味があります。

広告とは何かを知りたい場合は、私に会いにきてください。私は下の階にいます。

署名 ジョンEケネディ


そのとき、ロードアンドトーマス社にいたのは、トーマス氏とアルバート・ラスカー氏でした。

トーマス氏の反応は「あの男に時間を無駄にしたくない」というもの。

一方で好奇心旺盛なラスカーは、このメモに大変興味をそそられました。

そして、彼はオフィスに招き入れるために、トーマス氏の承認を得ました。

そこで広告の定義に関する議論が繰り広げられたそうです。

そして、ジョンが定義したのが広告やコピー業界では、あまりにも有名なこの言葉。

“Advertising is salesmanship in print.”
「広告は印刷物のセールスマンシップです。」

だったのです。

その後、3人は手を組み、アメリカの広告を完全に再形成しました。

そんな、ジョンが書いたのが「Reason WhyAdvertising」です。

広告史を変えたケネディの革命的コンセプト

ジョン・E・ケネディが広告業界にもたらしたものは、単なる成功事例ではありません。

それは、広告という概念そのもののあり方を根本から変える「革命」でした。

彼の功績は、大きく分けて2つの革命的なコンセプトに集約されます。

革命①:「印刷されたセールスマンシップ」という定義

ケネディが登場する以前の広告業界には、明確な定義が存在しませんでした。

当時の広告は、主に企業の名前を広く知らせたり、美しいイラストや詩的なキャッチコピーで人々の注目を集めたりするものが主流だったのです。

つまり、広告は「アート」に近い存在と見なされていました。

この常識に対し、ケネディは全く新しい定義を打ち立てます。

それが「広告とは、印刷されたセールスマンシップ(Salesmanship in Print)」という考え方です。

これは、広告を「一人の優秀なセールスマンが、何千、何万という見込み客に対して同時に行うセールストークである」と捉えるものです。

したがって、セールスマンが顧客を目の前にして語るべきこと、つまり商品の利点、他社製品との明確な違い、そして顧客の悩みをどう解決できるのかといった情報を、広告の紙面ですべて語り尽くさなければならない、と彼は主張しました。

この定義によって、広告の目的は「売上を上げること」に明確に定められたのです。

革命②:「リーズン・ホワイ広告」の確立

「印刷されたセールスマンシップ」という定義を具体的な手法に落とし込んだものが、「リーズン・ホワイ広告(Reason Why Advertising)」です。

これは、なぜこの商品が優れているのか、なぜ顧客は今すぐこれを買うべきなのか、その「理由(Reason)」を徹底的に説明する広告アプローチを指します。

ケネディは、消費者が商品を購入するのは、漠然としたイメージや感情ではなく、明確な「理由」に納得した時であると考えました。

そのため、彼の広告は、商品の特徴を裏付ける事実や証拠、そして論理的な説明を重視しました。

例えば、洗濯機の広告であれば「この機械は1分間に何回転し、従来の方法より何倍も速く汚れを落とします」といった具体的な情報で顧客を説得しようと試みます。

この手法は、洗濯機メーカー「1900 Washer Company」などの広告キャンペーンで採用され、その売上を劇的に増加させるなど、絶大な効果を発揮しました。

これにより、「リーズン・ホワイ」は広告制作における絶対的な原則として、業界に広く浸透していくことになったのです。

ケネディの広告哲学を読み解く言葉

ジョン・E・ケネディの哲学は、単なる理論ではありませんでした。

彼の言葉は具体的で力強く、100年以上が経過した現代においても、多くのマーケターにとっての重要な指針となっています。

彼の思想の核心に触れることができる、代表的な言葉を読み解いていきましょう。

「広告とは、印刷されたセールスマンシップである(Advertising is Salesmanship in Print.)」

この一文は、ケネディの思想のすべてが集約された、最も有名な言葉です。

彼はこの言葉によって、広告の目的と役割をたった一文で定義しきりました。

これは、広告は単なる美しい絵や言葉の羅列ではなく、顧客を説得し、購買へと導くための営業活動そのものであるという宣言です。

この定義が生まれたことで、広告制作者の役割は「アーティスト」から「セールスパーソン」へと変わり、広告の評価基準は「売上に貢献したかどうか」という一点に絞られることになりました。

まさに広告史における歴史的な転換点となった言葉です。

「広告はニュースだ。そうでなければ価値がない

ケネディは、広告が読者の注意を引くためには、そこに「ニュース性」がなければならないと考えました。

ここで言うニュースとは、社会的な事件のことではありません。

読者にとって「新しい発見」や「有益な情報」を指します。

例えば、新製品の画期的な機能、従来製品にはなかった利点、特別なキャンペーン情報などです。

企業が一方的に伝えたいことだけを叫ぶのではなく、顧客が「知りたい」「読んで得をした」と感じるような価値ある情報を提供すべきだという思想です。

この考え方は、現代のコンテンツマーケティングの基本的な戦略と完全に一致します。

「広告文のテストこそが、広告を科学へと高める」

ケネディの偉大さは、広告を科学の領域にまで引き上げようとした点にもあります。

彼は、広告は一度作って終わりにするべきではないと主張しました。

どちらの広告見出しがより多くの反応を得られるか、どの説明文が最も売上に繋がるかを実際にテストし、その効果を測定することの重要性を説いたのです。

これは、感覚や経験則に頼りがちだった広告制作の世界に、データに基づいた改善という概念を持ち込んだことを意味します。

この思想は、現代のデジタルマーケティングで常識となっているA/Bテストなどの効果測定手法の先駆けと言えるでしょう。

 

ケネディの著作と、その思想を受け継いだ人物

ジョン・E・ケネディの革命的な思想は、彼自身の著作と、その哲学を深く理解し発展させた後継者によって、現代にまで伝えられています。

彼の哲学の核心に触れることができる、必読の著作と重要人物を紹介します。

ケネディ自身の著作『Reason Why Advertising』

ジョン・E・ケネディはその広告哲学の神髄を、伝説的な広告教材『Reason Why Advertising』としてまとめ上げました。

 

これは、一般の書店で広く販売された商業書籍とは異なり、主にロード&トーマス社が広告主やコピーライターを教育するために用いた、一連のレッスン形式の教材でした。

この教材の中で、彼は「印刷されたセールスマンシップ」をいかに実践するかを具体的に解説しています。

なぜ消費者が商品を買うのか、その「理由(Reason)」をどのように見つけ出し、説得力のある広告コピーに落とし込むか、その方法論が体系的に示されています。

この『Reason Why Advertising』こそが、ケネディの思想を直接学ぶことができる、最も重要な一次資料なのです。

思想を受け継いだクロード・C・ホプキンス

ケネディの思想を語る上で絶対に外すことができない人物が、クロード・C・ホプキンスです。

彼は、アルバート・ラスカーによってケネディの後任としてロード&トーマス社に迎え入れられました。

そして、ケネディが築いた「リーズン・ホワイ」の哲学を、さらに科学的なレベルへと昇華させた伝説のコピーライターです。

ホプキンスは、広告効果を正確に測定するためのテストマーケティングや、クーポンを利用したレスポンス計測など、具体的な手法を次々と開発しました。

これにより、広告はもはや「科学」であるということを決定的にしたのです。

彼の著書である『科学的広告法(Scientific Advertising)』は、ケネディの思想を具体的な「法則」や「原則」にまで落とし込んだ広告界のバイブルとして、今なお多くのマーケターに読み継がれています。

現代に生きるケネディの教え

ジョン・E・ケネディが活躍した時代から、100年以上の時が流れました。

広告の媒体は印刷物からラジオ、テレビ、そしてインターネットへと劇的に変化しました。

しかし、驚くべきことに、彼が提唱した広告の基本原則は、現代のデジタルマーケティングの世界で今なお力強く生き続けています。

彼の教えが、現代のどのような手法に応用されているのかを見ていきましょう。

ケネディの「印刷されたセールスマンシップ」という思想を最も色濃く受け継いでいるのが、WebサイトのセールスライティングやLP(ランディングページ)です。

商品やサービスの購入を最終的に促すこれらのページは、まさにWeb上に構築されたセールスマンそのものです。

顧客が抱える悩みを提示し、商品がもたらす未来(ベネフィット)を示し、お客様の声や客観的なデータを証拠として見せる構成は、「リーズン・ホワイ」の考え方がそのまま応用されています。

また、「広告はニュースでなければならない」という彼の哲学は、現代のコンテンツマーケティングの核となる考え方と完全に一致します。

検索エンジンで上位表示を目指すSEO対策の記事や、企業のブログが発信する情報は、読者の課題を解決する有益な「ニュース」でなければなりません。

売り込みたいという企業の都合ではなく、顧客にとって価値ある情報を提供することで信頼を得るという手法は、ケネディがその原型を築いたと言えます。

さらに、彼が重視した「広告文のテスト」という思想は、データドリブンマーケティングの基礎となっています。

Web広告のバナーやキャッチコピーを複数パターン試すA/Bテスト、アクセス解析ツールを用いた効果測定と改善活動は、すべて「広告を科学する」というケネディの思想から始まったものです。

このように、ケネディが遺した教えは、時代を超えて通用する普遍的な真理なのです。

まとめ

ジョン・E・ケネディがいなかったら、広告の定義は別の言い方だったかもしれませんね。

1904年にすでに広告の定義が議論されていたなんて、不思議な気持ちです。

日本なんて明治37年ですからね。

アメリカが進んでいるのが、よくわかります。

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